魯山人について

概説

明治16年京都に生まれ、昭和34年76歳でこの世を去る。
書、篆刻、絵、陶芸、料理を極めた20世紀の芸術家。
自然界の美しさを師とし「自然美礼讃」を信条に、生涯をかけ美を追求。
倣岸不遜といわれた魯山人も、山代温泉の旦那衆とは晩年まで交流が続き喧嘩別れはしなかった。
東京赤坂に会員制の高級料亭「星岡茶寮」を開設。「食器は料理の着物」という有名な言葉を残している。

略歴

明治16年(1883年)
3月23日、京都上賀茂神社の社家北大路清操の次男として誕生。
名は房次郎。生まれると直ぐに里子に出され、不遇な幼少時代を過ごす。
明治19年(1886年)
養母に背負われ散歩に行った時に見た真赤な山つつじの美しさに感動。美に惹かれていく。
明治36年(1903年)
書家を志して上京。
明治37年(1904年)
日本美術展覧会で隷書の「千字文」が一等賞二席を受賞。
宮内大臣子爵田中光顕に買い上げられる。
大正2年(1913年)
京都の豪商内貴清兵衛の書生を勤め、この時京料理の味を覚える。
大正4年(1915年)
細野燕台に伴われて山代温泉を訪れ、老舗旅館の看板を彫ることになる。
初代須田菁華より陶芸の手ほどきをうける。
大正10年(1921年)
美食倶楽部を開設。
大正12年(1923年)
美食倶楽部で使用する食器を大量に菁華窯で制作。
大正14年(1925年)
東京赤坂に高級料亭・星岡茶寮を開設し、顧問兼料理長となる。
昭和11年(1936年)
星岡茶寮解雇、以来北鎌倉で作陶に専念。
昭和30年(1955年)
金澤美術倶楽部で「私ハ先代菁華に教へられた」いう演題で講演。 重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を辞退する。
昭和34年(1959年)
76歳の生涯を終える。